しっかり窓も閉めているのに、なぜか一匹の小さな虫が飛んでいる。
すばしっこく不規則に飛ぶその小さな虫は蚊ではなく、人間を刺すタイプではなさそうだ。散々不規則飛行をした後、疲れたのか壁に止まって静止している。
かわいそうだとは思ったが、オレのパーソナルスペースに入ってきたお前が不幸だったんだぞと、心でつぶやきながらティッシュでポンと上から抑え、そのままゴミ箱へ(^^;)
今、この儚い命が絶たれてしまった哀れな虫は、何のためにこの世に存在していたんだろう・・・・
虫は何のために生きているんだろう・・・
この虫たちを餌に生きている者たちへの食料の提供のために生きているのか?
いや、生きているのではない。生かされているのだ。
何も考えていないだろう。なぜ生きているんだ?なんて考えることがおかしい。
人間だって究極に言えばそうだ。生きているというより生かされているという方がより現実に近いのではないか。
そう考えると答えは単純だ、何で生きているのか?
それは死ぬまで生かされているのだ。
言い換えれば死ぬために生きているとも言える。
マラソンだって、ゴール目指して走ってるんでしょ。
何にでも始まりがあれば終わりがあるのだ。
いくら考えても答えが出ないことについて考えるのも馬鹿馬鹿しいが、虫も人間も少なくても一つ命を持っている。そしていつかオレもさっきの虫のように命が絶える。
ほんと過ぎてみればあっという間の人生だろう。
順番という暗黙のルールの元、じいさん、ばあさん、おやじ、おふくろと、これまで生きていた人が順番に死んでいった。次はオレの番だ。
それも10代20代とは明らかに違う。もう残された時間はそう多くはない。
今の自分の暮らしを「老後」というには少し抵抗があるが、確実に老後になっていく。
その最終ステージの老後をどのように生きるか?
ん?今さっき生かされていると言ったばかりなのに、なぜ生きるというか?
そうなんだよな。人間は「考える葦」
この地球上に存在する唯一の考えてしまう動物だからだ。
留まるか、先に進むか、右に行くか左に行くか、元に戻るか・・・・
人間はあれこれ考えて行動ができてしまう生き物だ。
さっきの虫とは少し違うのだ。
大いなる自然の法則の中では生かされているちっぽけな生命に過ぎないが、一人の人間としてはどのように生きるかと意思を持って生きたいのだ。
精一杯抵抗して、自分は意思を持って生きていると言いたいのだ。
そう考えると、人様の迷惑や犯罪とかじゃなければ、基本何やってもいいんだって気がしない?
歳だから~なんて気にすることもない。
周りが変な目で見る? どうぞ見てくださいな~
貴方にこれぽっちも迷惑かけてないでしょ~?
いい歳こいて・・・・・
いいじゃないですか~余計なお世話です!
いずれ来る死に至るまでの生かされている時間。
楽しまなきゃ損でっせ~~~www