るんるんリタイア暮らし

58歳で35年務めた会社を退職。現在リタイア生活をエンジョイ中

歴史散歩ポタリング(鮮魚街道)

早期退職しリタイアして早4年半。

現在は縁あって、ここ千葉県松戸市に住んでいる。

もともと千葉育ちだからまったく知らぬ土地でもないが、なかなか暮らしてみると便利で気に入っている。

 

やや古びたこぢんまりした街だが、生活しやすくとても快適だ(^-^)v

 

我が家のすぐ近くを通るなんでもない道…

 

Googleマップで見ると「鮮魚街道」と表示される。

「鮮魚?街道?」

ぜんぜん海が近い訳でもないのに何故に鮮魚街道??

 

ネットで調べて見たらこれがけっこう面白い!

 

めんどくさいから以下コピペ引用(^_^;)

 

鮮魚街道は名のごとく鮮魚を輸送した街道でいつの頃からか呼ばれた街道名が鮮魚(なま)街道。

江戸の人口が増えてくると江戸前と言われた東京湾の魚だけでは足りなくなり、銚子沖や九十九里周辺で水揚げされた魚貝類を高瀬舟に乗せ利根川を関宿まで北上 ここから江戸川に入って新川、小名木川を通り江戸日本橋に送りこまれるようになった。しかしこのルートは距離が長いこと 冬季の渇水期は高瀬舟が関宿付近を通れなかった事などから木下河岸から白井宿・鎌ヶ谷宿を経て本行徳河岸まで馬で運ぶルートが開拓された。だが、宿次ぎであったため このルートも様々な問題が発生。 

一方、新田開発などで布佐・松戸間を結ぶルートが開通すると こちらは通し馬が可能であったことから次第に新ルートでの輸送が主流となり、いつしか鮮魚(なま)街道と呼ばれるようになった。

 

…だそうだ!

 

江戸時代はこの目の前の道を通って、江戸へ魚を運んでたんだ~(@_@)

 

冬ならまだしも、夏には氷もなく生魚を運ぶのはなかなか大変だっただろう(^_^;)

 

いろいろな苦労があったんだろうなぁ~

 

銚子沖が昔からいい漁場だったみたいだけど、それなら千葉をぐるっと回ればもう東京湾じゃん?

ところが外房は海難事故が多く、かなり危険だったそうな。

わざわざ避けて違うルートを模索して開発するくらいだから、今とは比べられないほど船の性能は低かったんだろうね(^_^;)

 

「なまかいどう」か…

 

ちょっと江戸時代を想像しながら自転車で走ってみよう♪

 

わざと人工物を避け写真を撮ってみた。江戸時代もこんな風景だったのかな?

(飛行機雲が入っちゃったけど・・・・汗)

案外近場にも面白い歴史があるもんだ。

 

いや〜すごい不思議…

すぐそばを走るメイン街道とはぜんぜん交わらず、地元の人しか通らないような道で利根川の布佐まで続いてる。

例えば、千葉県民なら誰でも知ってる「木下街道」と並行して幅4m程度の細い道が「鮮魚街道」だったり。わざと残したとしか思えない・・・(^^;)

 

 

水揚げされた魚を乗せて、銚子を夕方出発したそうだ。

そして布佐で陸揚げし、馬でこの鮮魚街道を江戸川まで運び、また船に乗せ換えて江戸川を下り、銚子を出発して3日後の日本橋の早朝の競りに並んだんだって〜!

要するに魚は夜中も輸送されていたんだ!

真っ暗の中仕事していたんだねぇ・・・(^^;) ちょっと怖い(^^;)

 

なんか歴史って面白いねぇ〜(^^)v

 

藤ヶ谷常夜燈

ちょうどここは中間地点、魚を運ぶ人夫の休息や魚の水切り場としてにぎわったそうだ。

 

ここはいつもお世話になっているホームセンターの前にある「子和清水」という湧き水。現在は大規模団地などもでき、干上がってしまったそうだ(;^_^A

ここで馬に水を飲ませたり、魚に水を掛けたりして鮮度を保ったんだって!

 

教科書に出てくるような有名な歴史でなくても、なんか身近なところに面白い過去の歴史があると面白いねぇ~~(^^)v

 

またなんか探してみよう~(^^♪