以前、「死ぬということ」というテーマで思ってることを書いた。
要するに、寿命なんてわからないって話。
貯金がいくらあったらリタイアできるか?なんてリタイア前にはいろいろシミュレーションしたけど、正直あまり意味がない。
それより、こんだけのお金で何歳までどんな人生が送れるか?って逆に考えた方がいいかもしれない。
とても悔しいことだが、本来の寿命まで生きれない場合だってある。
天災、人災、病気、事故・・・ 寿命まで全うできない未練はあるかもしれないが、これは運命だから仕方ない。諦めるしかない。
それでは、天災、人災、病気、事故などに合わず、運よく年寄りになるまで生きれたとしよう。
そして寿命より前に、とうとう貯金が底をついた・・・
さあどうする?
これはオレの考え方だが、人間もその基本部分は動物だ。
動物は自分で自分を生かすことができなくなった時、死ぬことを受け入れなければならない。
怪我して餌が取れなくなったら・・・その先には死が待っている。
餓死というのは、ある意味動物が死ぬ本来の姿とも言える。
また、他の動物の餌として自らの命を提供しなければならないかもしれない。
これらの場合、たとえ本能だとしても、生きようと努力をしている。なんとか食べ物を口に入れたいと思っている。しかしその能力が無くなってしまったために、無念だが命が果てることになる。
少なくても自殺とはまったく性格が異なることだ。
もちろん人間の場合、たとえ年老いても誰かに殺されて食われることもないし、一文無しになっても誰かが助けてくれて生きれるかもしれない。
生活保護を受けて生きることも可能かもしれない。
しかし、本来自分で自分の命の面倒が見れなくなった時、生き物は死ぬのだということをしっかり認識していたい。
さすがに20代や30代では、まだそんなことを真剣に考えないかもしれないし、餓死して死ぬなんて絶対やだとか思うかもしれない。
でも、さんざん生きたって思う歳になったら・・・・・
自分で自分の面倒をみれない時が来たと悟れるようになれたらいいな。