るんるんリタイア暮らし

57歳で34年務めた会社を退職。現在リタイア生活をエンジョイ中

生きている幸せ

このテーマはもう毎年何度も書いているかもしれない。

それでも記憶がある限り書きつづける。

あの時生かされたものとして。

 

阪神淡路大震災

27年前35歳だったオレは、仕事の関係で兵庫県西宮市に住んでいた。

 

前日オレは会社の会議のため千葉にいた。

毎月何度も新幹線で行ったり来たりしていた。

 

その日の会議は思いのほか長引きなかなか終わらない。

オレはチラチラ腕時計を見てはイライラしていた・・・・

 

夜8時くらいだっただろうか・・・

やっと会議も終わり急いで東京駅に向かった。

新幹線に飛び乗り、新大阪で降り、大阪梅田から阪急で西宮北口駅に向かい、家に着いた時はすでに日付は変わっていた。

 

疲れた・・・・

 

そして朝・・・ まだ暗い時間だった・・・

 

住んでいるマンションに飛行機が墜落した!!

オレの家は会社が借り上げてくれていた3DKのマンション。

古いがよく手入れされている中規模マンション。その4階に住んでいた。

 

暗い中、何が何だかわからなかった。

普段聞こえないが、その時は上下左右のいろいろな家から悲鳴が聞こえた!

とにかく暗闇の中、夢中で起きるが、寝室のタンスも倒れ隣のキッチンは食器棚も冷蔵庫もすべて壊滅的にぐちゃぐちゃになっているみたいだが、とにかく暗くてよくわからない。

天井から水がボタボタと垂れている。何か水道管が外れたのか?

3人の子供の内、次男はまだ赤ん坊でいっしょの部屋に寝ていたが、小学生になる長男と長女は離れた別の部屋に二段ベッドで寝ていた。

何でもなければ2秒で行けるのだが、行けない!

「おおーーーい」と子供の名前を大声で呼んだ。

返事があり、ふたりとも無事なようでとりあえず安心した。

 

だんだん明るくなりはじめ、やっと状況が少しづつわかるようになった。

とにかく、子供の部屋まで行きたいのだが、床が見えないほどぐちゃぐちゃで歩けない。ガラスなども散乱していて、とても裸足で歩くのも無理だ。

食器棚をとにかく退かそうとするが、立てかけるにも床が見えないので退かせない。

 

小さな50㎡ちょっとの3DKのマンションなのに、すぐそこの廊下にたどり着くのに30分くらいかかっただろうか?(正確な時間はわからないが・・・)

 

子供部屋を覗く。とりあえずケガもなく一安心だ。

すぐ目の前が玄関だ。

玄関を開けて、初めて事の事態に唖然とした。

 

目の前の高速道路が倒れてる!

そこら中が火事で燃えている!

ビルや家が崩れてる!

電柱が曲がってる!

 

飛行機が落ちたんじゃなくて、大地震だったんだ。

 

その光景はまるで空爆を受けた戦場のようだった。

その悲惨な街並みの向こう側には、いつもと変わらない六甲山があった。

 

当時オレはタバコを吸っていた。

落ち着こうとタバコに火をつけようとしたが、慌ててライターを仕舞った。

そこら中がガス臭いのだ。ガス管も漏れている。

 

我が家はその後半壊とされ、黄色テープが張られた。

(それでもオレはずっと住んでいたが・・・汗)

 

最寄り駅は阪急西宮北口だが、しばらく歩けばJRの甲子園口にも行ける。

翌日、オレ以外の家族をひとまず千葉の実家に避難させるために、子供の手を引き甲子園口まで歩いた。

ラッキーなことに甲子園口から大阪方面は電車が走っていたのだ。

 

まあそれ以外の状況はニュースなどで見た通りで長くなるからもう書かないが、同じ場所にいて不幸にも亡くなってしまった人、そして何故か生かされた人。

 

オレはそれからもう27年も生きているのだ。

会社も辞め、貧乏でも悠々自適に平穏な毎日を過ごしている。

 

地震津波などの自然災害、飛行機や電車などの事故・・・・

これらは老若男女すべて関係なく命を奪う。

まだ幼い子供は、生きていればその後70年も80年も生きられる命だったのに・・・

 

生かされた命を持つものは、自分の命が尽きる時まで精一杯生きなければいけない。

 

あの日、亡くなった6434人のすべての皆さまのご冥福を心からお祈りします。